2018⇨2019正月。2018は記憶がない。現代の貧困の真っ最中なのかもしれない

タイトルを仰々しく書いておりますけど、駄文です。きっとまとまりのないものを書き連ねます。まとまりなく書きたい気持ちなのです。衝動なのです。

結論から言うと、2018年、6月に自己破産しました。ガストでバイトもはじめました。年金も払えてなかったので、恋人に詰められ、振られちまいました。

前厄の1年前ですよ。39歳ですから。厄年ってなんすかね。ずっと厄に付きまとわれてる気がします。恋人とは2年付き合いました。5月ごろに、年金を払えと言われて、収入から換算され、こんぐらい毎月払えるじゃん。と言われ、バイトすると自分が言い。なら、こんだけ払えるねってなって。毎月の支払いは、自己破産の資金だけ毎月7万円払わねばならず、無理でした。11月に問い詰められ、自己破産の事は言えず、金遣いが荒いのだね。という信用を失った形で恋人に振られちまいました。昼も夜も仕事で体はフラフラのまま、言い訳もできず、振られちまいました。年金は本当に払っておいたほうがいいです。ていうか毎月弁当で、自販機も抑えて、かつかつなのに払えるわけがない。なんでだろう。みんなどうやってお金こさえてんだろう。

恋人になるってのはお互いの人生の一部を共にするわけで、過去に何があったとか関係なくそのつながった瞬間は光が差していて、尊いもので。

でも時間が経つにつれ、気持ちではどうしようもない問題が出てきて、大人ってスゲェ。とか思いつつ、自分が大人になれてないだけであって。感情的な言葉が空虚になる瞬間、その人との関係性は終わっていた。と言っても過言ではないと。

正月、そんなもやもやとした気持ちを抱えて、何の知識もないけど、ネロがパトラッシュに「あー疲れたね」と行ってみることを切望していた絵を見てみたくなり見に行き、深大寺にそばを食べに行き、昔いい感じになったけど、恋仲になることもなく、疎遠になった女性からメールの返事が来て、帰りのバスの車中、夜景が溶けていく中、今まで良さがわからなかったトムウェイツが急にスポッとはまって、涙が流れて、東京って残酷で最高だって叫びたくなった夜です。

友部正人高田渡を聞き、焼酎を飲み、前野健太に涙して、毎月かつかつの生活の貧乏だけど、映画も見て、図書館で本を借りて、ポールオースターや田村隆一に憧れ、寺尾紗穂の切ない旋律に涙して、そのまま生きていく、それでも生きていく、切ない日々の40前です。

恋人なんてものがはるか遠くに行ってしまった気がする40歳前なのです。ネットを検索すると40は終わってる。いらない人間のような扱い。有名人以外は。それでも生きなきゃいけんのです。夢を終わらせてしまったのだから、新しい夢も見たいけど、恋人も欲しいけど、世間的には終わってるようなのです。それでもそれでも、生きていきたいのです。恋もしてみたいのです。風俗に行ける金をとりあえず作りたい。そんな2019年の平成最後?とかいう年のはじめです。

ジエクストリームスキヤキ

窪塚洋介とアラタのピンポン以来の何十年かぶりの共演の映画。

スマイルとペコじゃないか。キャラクターは全然違うけど、この二人だとひょっとしたらスマイルとペコが39歳で卓球をしていなかったら、こんな感じだったかも、と思ってしまう。スマイルは大人になって、とても辛い経験を経たら、あんなユーモアセンスのあるとぼけた大人になっているかもしれない。辛かったのかどうかはわからないけれども。

 

話を映画に戻すと、自分はすごい好きな映画です。ダメな大人の映画はすごい好きなのです。「オーバーフェンス」とか「海よりもまだ深く」とか。「まだ本気出してないだけ」の映画じゃなく漫画では何度泣いたか。

窪塚さんは未だになんだかんだかっこいい。最近「沈黙」もそうだけど、ちょっとアホな役がすごく良い。狙っている感じもするけれど。スキャンダルが多い役者さんだから、可愛げを出そうとしてるのかな。邪推。邪推。

アラタに「俺たちかっこいいのに彼女がいないって、社会性ないだけマイナスすごくない」って言わせちゃうのすごく好き。

それにこれは走馬灯映画なのかな、、って。みうらじゅん×いとうせいこうのラジオ「ザツダン」で走馬灯を自分で編集したいってな話があったけど、その幸せな記憶が振り返っていて、はっきりと明示してくれないのがとても良い。

自分で走馬灯が映像として作れるなら、サウナ上がりに露店風呂で足だけ使って、外の風に当たっている中、夕方のいわゆるマジックアワーの中、おじさんたちが誘蛾灯にたむろしている映像を会話だけが聞こえる、横スクロールで。次のショットで会話の主に焦点が当たり、カットが変わり銭湯全体の俯瞰ショットへとカメラが引いて行き、街全体が映るようになって、町全体の暗闇の中から、タイトル「走馬灯」って出てきてほしい。

市川実日子、昔より、今の方がマジかわいい。手をつなごうとして拒否されるシーン、ドキドキした。

フリーターの39歳同棲中の窪塚。失業中のアラタ。おじさんを肯定してくれる青春映画である。会話が何より面白い。

「縁切ってる人なんで」

「だから、縁つなぎに来たよ。何年ぶりだっけ?」

「10年ぶり、とかじゃないっすか?」

「え?10年じゃないよ。15年ぶりだよ」

(食い気味に)「15年ぶりっすよ縁切って」

そういうやり取りのつながりで走馬灯だと思うと、なんて愛らしいんだろう人生って、て思う。

良い映画でした。

まるでナゲット

この昨今のコンビニ業界でものすごい新星が現れた。コンビニクオリティといえば辛々粉やトムヤムクンラーメン、セブンのつけ麺。ローソンの黄金チキン。したらば。やみつきホルモンやそのまんまコロッケとものすごく美味しいものが溢れている中、恐ろしいことに他と違う方法論の究極を行っている。

バカリズムがラジオで芸人として売れるなら自分の方法論を見つけなきゃダメだ。誰もやってないようなことをやらなければいけない。とか、会田誠が自分の方法を見つけなきゃいけないとか、岡本太郎が自分の衝動に突き動かされろうんぬんのような事を言っている中、それを体現しようという食べ物が全国で流通されたのだ。味の好みなのかもしれないが、このまるでナゲットの個性としては、だ、ものスゲぇまずい。前衛アートを食で表現しているのかもしれない、ひょっとすると。「俺はこのうまさわかるけどね」とドヤ顔で大学生が言うのかもしれない。ジントニック語り始めの。

 

丸投げというダブルミーニングも感じる。

食べた感想をまだ申し上げてなかった。食べた瞬間は「ん?ナゲット」噛み続けると、「苦い。歯くそ?」さらに噛み続けると「あぁ歯くそを丸めたものを今、俺は食べているんだな。歯くそってまるでナゲットな味するな」と思い込むようになっていく。そして、だんだんとイライラしたのち、袋を見ると、歯くそがごっそり詰まっている。どうしたものか。と思案に暮れつつ、もう一個口に含む「あれ、以外とナゲットぽい?」「いや、歯くそだね」「うん歯くそだ」と確認作業に入る。これ、まだ食べなきゃいけないの?どうしよう。こうしている間にもアフリカの子供たちは貧困の果て、飢えを凌いでいるのだ。これが例え歯くそだとしても、食べらるのだ。ツイッターでふと検索すると、予測変換で「まるでナゲット まずい」とか出てきた。当たり前といえばあたり前の結果ではある。JPOPの歌詞で「僕が歯くそを食べるなら、君はまるでナゲットと言うと思った」とか言ってたような気がする。

甲子園球児が泣きながら土を拾った帰り、コンビニでまるでナゲットを口にする。「いつもよりこの歯くそしょっぺぇや。はは」なんてことになる。

失恋した帰り道、「ああ、これ歯くそだ。そういえばあいつの口臭に似ていたな」とか思い出に浸ったりするだろう。

 

逆にみんな食べてみたほうがいいと思います。心が揺さぶられることの少ない昨今。こんなにも心が震える「ああ、本当の肉がいつか食いてぇなぁ」と思うから。

ひょっとしたら裏には陸王のようなドラマがあったのかもしれない。

役所広司「これでまるでナゲットが作れます」

陸王見たことないから、ボケられず。おしまい。

バーフバリのように生きたい!実際問題無理だって

先日、プチブームになってる映画「バーフバリ 王の帰還」を観て思ったこと。伝説誕生も観ておりますけど、王の帰還は本当に素晴らしいと思うのです。観ていて、過剰であることはなんて素敵なことなんだろうって思った。

このクレーマー社会。SNSはすぐ炎上する。どこか北朝鮮隣組の監視社会のように感じるこの窮屈さは一体何だろうと思った。カルチャーで盛り上がるのは一握りで政党やら不倫やら誰かの批判しかインターネットにはない気すらしています。なるべく見ないようにはしているのだけど。何とな〜くヤフコメとか見始めて、いつの間にかよくない考えにズボッと入っていたりする。ダウンタウンの黒人差別とか誰も笑いの筋を考えずに発言してるなぁ、と思って怒りにまみれてしまうこともあるけど。そんなことを発言できる場所があちこちにできたおかげでみんな言いたい放題。矢面に立つ人は凹むわけで。

バーフバリにはそんなの関係ねぇっていう過剰さを感じて、感動してしまったわけで。細かいことはいいんだよ、これ面白い?これも面白い?の連続でずっと痛快で。過剰であることがどこか許されない世界の今。物語の中でくらい心は自由でいたい。ワンピースだって、同じこと言ってるじゃん。だけど、大人たちは許してくれない今。何て窮屈なんだろう。TVだって、芸人とかタレント何て本来、面白いことさえ言ってればよかったのに、コンプライアンスとか自主規制とか好感度的にとか言って、どこか発言を控えている印象だ。

今の芸人さんて、もっと本気を出したらすごいことができるのに。

 

野性爆弾のくっきーさんはそういった意味でもすごい。ゴッドタンもすごい。TVでやれていることが。批判する声があまり聞こえない。過剰であることはやっぱりすごいことだ。才能をやめなかった人たちは気持ちがいい。

大森靖子の「見晴らしのいい地獄」って歌詞がすごく好きです。過剰を止めずに続けたから見える地獄っていうことがあると思う。

それに何か発表する人って、過剰じゃないと面白くない。こなユーキーってどうかしてるもの。

私も一応サラリーマンとして働いてるけど、どこかずっと居心地が悪い。毎日サラリーマンごっこをしているようだ。周りは口を開けば誰かの悪口か仕事の話。窮屈だ。

 

息の吸い方を忘れかけている。何かずっと心が休まらない。ぬるい地獄にずっといる気がする。昔よりはよくなってるだろうか。なりたかった大人にはなれなかったけど、幸せではある。

最近サラリーマンになって1年ちょっと。こんな生活でみんな満足できていることに今更ながら驚く。絶望感しかない。安定以外は。よく毎日みんなやれているな。楽しいと思える日が来るんだろうか。帰りの散歩は楽しい。働いたおかげではある。土日も悪くない。彼女と一緒に過ごしたり、友達と過ごしたり。しかし、生きるなんてそんなもんだとも思う。亡くなったあの人たちは今にして思えばとても早く亡くなったけど、美しく生きていたと思う。関わってくれただけで、感謝もある。だけど、ずるいなぁ。

人が生きることはとても美しいものなのだな。どう生きてたとしても。

 
 

自己紹介について

自己紹介って、ひとえに言っても凄く難しい。面と向かって社交辞令なものではなく、私はこういう人間ですっていうのは、恐ろしく難しい。

M−1グランプリとか賞レースに出てくる芸人さんはネタに全てを込めればおのずと人間性が出てくるけれど、一般的な人間にとっては難しい。

役者さんが急に売れて顔を見ることはあるけど、その人のパーソナリティなんてほとんどわからない。役者さんだからその演じている人だと思わせれば勝ちな職業だから、いいのだろうけど。それに一般の人だって、自己紹介の時に初対面では演じる。

ただこういうところで文章のみで人柄を伝えるってどうしたらいいんだろう。小説を書いて出版している人にあったことがあるけれど、その読んだ小説のままの人だった。その世界観を生きているというか。確かに文章は人格がにじみ出るものではあると、思う。

自分は何者でもないし、小説も出しているわけではないし、自分の文章をタダならともかく、お金を出して読んでくれる奇特な人なんているんだろうか?

有名ブロガーみたいな人って一体どうやって世に出ていくのだろう。数だろうか?もともとの才能だろうか?よくわからない。

お笑い芸人やユーチューバーや歌手や役者や芸術家というのも、とても評価がわかりにくいものではあるのだけど、その中に正解もないのだけれど、駄文を続けていいものなのだろうか?これは面白いとある程度の評価を受けるものって一体なんなんだろうと最近は考えている。近頃で言えばバーフバリだろうか。

人を喜ばせる魂で溢れているもの。魂だろうか。歌手においては気持ちの込め方で全然聞こえ方が違うというのはよくわかる。

だんだんと散漫になってきた。。

 

自分で言うなら、もう30も半ばの年齢ではあるけれど、急にギターで作曲能力に目覚めてしまった。なんか一曲作ると次々と以外と作れるもんだと思った。遅いよ。この能力せめて20代で開花して欲しかった。でも65歳のデビュー作が芥川賞を取ったりするもんだから、才能ってどこに眠っているのかわからない。

ひょっとしたら自分の中で野球の才能が70歳で開花する可能性だってないわけじゃないのだから。

とまぁだいたい適当なん感じに生きているこんな人間であるわけですが、ここから見栄を張らせてもらうなら、映画は週に5本くらい観ます。ハナにつく感じですかね。文章はまだ拙いと自覚しております。好きな有名人は松尾スズキとか向井秀徳とか極楽とんぼです。ただし、セリフ多めの芸術っぽい映画は苦手です。基本的にスピルバーグ的なエンタメ作品好きでゴダールやらタルコフスキーやらは観たことないです。と、唐突な自己紹介で締めます。落語も実際アマチュアですがやっております。よろしくどうぞ!お時間です!ワーワー言うとります!どうもありがとう!

オーディエンスからアンコール的な拍手がまばらに起こっている中、場内アナウンス

場内アナウンス「アンコールはございませんのでご了承ください」

とどこ目線のタワレコのインスト風味で締めます。締めません。。へへっ

アパート恐怖体験

アパートの1階で同じところにもう8年も住んでいるのだが、ものすごく恐ろしい目にあった。

うちの間取りはワンルーム六畳の一部屋で、玄関を入ると右手すぐにトイレ、左側に洗濯機と冷蔵庫が置いてある。
さらに進むと右にシャワーで左がキッチン。その奥が六畳の部屋である。突き当たりがベランダに出入り出来る窓?掃き出し窓?と言うんだろうか?になっており、人1人通れるくらいの大きさの窓がある。

部屋の真ん中にコタツがあり、その横に布団を敷いていつも寝ている。
月曜の朝6時半に起きて、布団を押入れに押し込み、歯磨きしたりトイレに行ったりしていると、コーヒーが切れているな、と思い近所の自販機に缶コーヒーを買いに行った。

自販機の前の路上に、なぜかコンビニの袋が2つ置いてあった。中にはパイの実がたくさん入った袋とカップ麺4〜5個とおにぎりがいくつか入っていて封は開けていないようで、変だな、と思った。

変なの、と思いはしたものの出社前というのもあり、缶コーヒーを買って家に戻った。

部屋に戻り、シャワーを浴びて風呂場から出ると、磨りガラス越しに人影が見えた。磨りガラス越しというのもあり人相ははっきりとはわからなかったが、短髪で上下黒の服を着ていて、この寒いなか半袖を着ていたのは確認できた。

それから、うちのアパートの作りはベランダと住宅の間に管理人さん用の狭い小径があるだけで、しかもそこに行くにはコの字型になっていて、玄関の群れの前を通り過ぎて裏へ回り込まないと入れない場所なのだ。通行人が間違えたくらいでは入り用がないデッドスペースのようになっている。管理人さんが掃除で家の前を通る事は何度かあったのでその時はあまり気にならなかった。

シャワー室から出ると、窓に人影があり、自分の体をバスタオルで拭いていると、その人影が視界の片隅で踊っているように見えた。その時にようやくこいつはおかしいという事に気づいた。気づいた瞬間、磨りガラスの人影はベランダの欄干を乗り越え、我が家のベランダに侵入し、うちの掃き出し窓を開けようとしてきた。

ホラー映画で何度も観たことのあるシーンだけどリアルに起こったら、こんなにも恐ろしいとは。全裸で「ウオオオー」と大声が出てしまった

磨りガラスの変態は窓を開けようとしたり、干してあった洗濯物をばさばさしたりしていた。段々とエスカレートして、窓を蹴ったり、手でバンバンやり始めた。手で磨りガラスをバンバンしてる様はまるでゾンビが侵入しようとしているみたいで恐怖でしかなかった。

とりあえず自分は全裸だったのでパンツを履こうと思ったものの、足がなかなかパンツに入ってくれない。なんとかパンツを履き、震える手で携帯から110番をした。110番しようにも恐怖でテンパっていて、11番や117番にかけてしまっていた。時報は今はいい。この間もずっと窓の男は窓をバンバンしていた。

なんとか警察に繋がり、住所を告げた。警察に電話している時にガラガラガラと音がして、「わ、入ってくる」と電話ごしに声が出ていた。
そちらの方を見ると、そのガラガラ音はなんのことはない網戸が窓の外で移動している音だった。警察の人にはとにかく落ち着いて、と言われた。

しかし、待つこと10分まだ警察が来ず、その間もずっとベランダの男は窓をバンバンやっている。部屋全体が揺れていた。私はパニックになって、一番近くの家に住んでいる友人に電話した。幸い友人は起きていて電話が繋がり「家に知らないおじさん来て窓バンバンしてんのよ」とよくわからない説明をしたせいか友人には冗談に思われたようだ。ちゃんと説明して友人も理解してくれたようで、「そっち行きましょうか?」という話になったもののこの磨りガラスの変態の危険に友人を晒すのも申し訳なく思い、もう少し警察を待つことにした。

部屋の内側から「やめろ!誰だよ!」と叫んでも磨りガラスの男は無言で窓をバンバンやっていた。20分くらい経ってもまだ警察が来ず(5分くらい前にも友人の後にもう一度警察に連絡している)、どうしようもなかった。とりあえずサラリーマンの悲しいサガでスーツを着て扉の方から逃げられるように玄関前で待機していた。

 

やがて磨りガラス変態男は諦めたのか、去っていった。その2分後くらいにやっと警察が来た。玄関の扉を開けて、さっきの変態を警察の人と追いかけようと思ったものの、警察官が若い女性だったからやめた。その後ろから5、6人くらいの警察の人達がたくさん来ていた。とにかくもうホッとした。

 

結局犯人は捕まらず。動機も何も分からなかった。ただの酔っ払いがふざけていた、と思うように今ではしている。掃き出し窓の外のシャッターを閉め、シャッターが開いたら「シャッター開けましたね。教団のものが参りますので五万円そこに置いておいてください」とか「お前の顔は写真に収めてある!!呪い殺す」とかちょっと気味が悪くなるようなメモが出てくるように仕掛けている。

 

防火シャッターを開ける時はトイレをこするたわしを振り回してから開けるという自分でもよく分からない防犯対策を取っている。

あー怖かった。もうホント引っ越したい。けど、お金がない。。

翌日真剣に弓矢の仕掛け方とかググるくらいに段々と腹が立った。家は本当に変態達には勘弁していただきたいものです。

 

カルテット 第6話感想

無事に再就職も決まり、穏やかな日々だ。こんなにも穏やかな日々が来た事がいまだに信じられない。

週末は温泉や映画に出かけたり、楽しみなドラマを待つ。まるでOLのような生活。。

 

しかし、このカルテットというドラマは本当に素晴らしい!第6話の松たか子クドカンの夫婦の終わりから始まりを1時間でうまく表現していて、ちょっとその辺のドラマとレベルが違うぞ!と感じた。

 

脚本の坂元裕二さんは「それでも生きていく」から「最高の離婚」「いつかこの恋を思い出して〜」「問題のあるレストラン」「woman」とかその他にもずっと追いかけていて、その都度いい脚本を書く人だな、と思っていた。やや、人が喋りすぎる傾向はある気はしてたけど。

 

カルテットも第1話から見ていて、今回は台詞をだいぶ削ってるな、と思って観ていた。そして第3話の「食べながらご飯を食べたことがある人は生きていけます!」の名台詞。すごい乗ってる!キレてるな脚本!って襟を正して観始めました。

そんな前置きはよいのです。とにかく第6話はすごい!と言いたいのです。言います。

 

もう冒頭からクドカンというキャスティング。情けないクリエイターみたいな役がこれ以上ないくらいハマる。本人は売れっ子だけど…。

 

コンビニ強盗を成り行きでやっちゃいそうな説得力あるものな、なんだか。それで妻が松たか子って。松さんはミステリアスでどっか抜けているような雰囲気の役。

 

クドカン満島ひかりに、松たか子もたいまさこにそれぞれ独白をはじめる。

 

回想シーンが時々挟まれる形で物語は進む。出会いはタクシーでクドカンはボソボソと「本郷まで」と告げるが、タクシーの運転手は「え?」と聞き返す。するとタクシーのドアが開き、クドカンの仕事仲間らしき太った男が同乗して来る「もう1人撮影でバイオリン弾いてた人もいいですか?」って。それが松たか子。目的地を告げる太った男と松たか子松たか子の声が小さくて聞き取れずタクシーの運転手がまた「え?」と聞き返す。しかし、クドカンには聞こえてたらしく、松たか子の目的地を「あ、早稲田までお願いします」とクドカンが告げる。

 

クドカン「初めは一目惚れに近い感じで…」

松たか子「仕事仲間の1人にしか思ってなかったんだけど…彼からの電話が次いつかな?って考えてる間にあぁこの人好きかもって」

 

という独白。最初から共通点はたくさんあるはずなのに何処かずれている2人。クドカンの一番好きな詩集を読んでくれず、最終的に鍋敷きにされてしまった時の絶望した顔。

 

柿ピーをおかきのみ食べるクドカンとピーナッツばかり食べる松たか子

 

人生一番の映画をいちいち説明させる上に寝ちゃう松たか子

 

近くに出来たカフェまで一緒に散歩したいのに寒いから家でいいじゃんっていう松たか子

 

この積み重ねはものすごくわかる。松たか子は「家族だから、全てをさらけ出していいんだ」。クドカンは「結婚しても恋人でいたかった」。

 

最初はSEXしてるんだろうなって描写があったのに、途中のシーンで松たか子が近所の吉田さんの話を退屈そうに上の空でそのまま寝てしまうクドカン松たか子

 

松たか子「彼が退屈しないように楽しいテレビの話を沢山したんです」

クドカン「彼女の世界は狭いから、僕が聞いてやらなきゃ」って。

 

だんだん好きじゃなくなっていくあの感じ。すごくわかる。逆に松たか子のように家族を求める感じもすごくわかる。

 

クドカンはバイオリンを弾いてる松たか子が好きだったのに、家ではGReeeeNが流れ、ハンバーグの肉の塊を揉む手をみて、あーってなってるのに、松たか子は「幸せだ」と言う。「あの人を支えたいって思ったんです」と言う。

 

この気の使い方、ダメになり始めた時に味わった事がすごくある。自分の話になってしまうけど、恋人の好きな映画をなんとなくよかったと言ったのに、「なにバカにしてるの?その感想?」とかなって気を使ってるのに喧嘩してしまうあの感じ。

 

松たか子は唐揚げになにも言わずにレモンをかけた。それを気を使ってクドカンはレモン嫌いなのに「地球一おいしい」ってごまかすあの感じ、喧嘩したくないし、好きじゃなければいけないし、真面目な人ほど陥るあのジレンマ。

 

GReeeeNを聴く妻と対照的なのかわからないけど、元カノが大森靖子というカルチャーの匂いのする人。

大森靖子「価値観合うか器大きくないときついっしょ」

少しの登場シーンでとてつもない名台詞!

 

元カノに誘われているけど、行かないクドカン。おそらく「愛してないけど、好き」なんだろうな。

 

後半居酒屋でクドカンが後輩と話していると松たか子が偶然現れる。聞き耳をたてる松たか子

クドカン「唐揚げにレモンかけんなよ。嫌いなんだよ。外でくらい好きに食べさせてくれよ」

後輩「まだ結婚したばっかじゃないすか」

クドカン「わかってないな。愛してるけど、好きじゃない」

 

思わず飛び出してしまう松たか子。それに気づいた風のクドカン

松たか子「ちゃんと話さなきゃって。家族だと思ってた人はいつのまにか片思いの人になってて、ちゃんと話さなきゃって」

クドカン「ちゃんと話さなきゃなって。いつのまにか欲しいものが逆さになってるって思って、ちゃんと話さなきゃなって」

 

なのに顔を合わせてもうまく切り出せない2人、台所で泣き崩れる松たか子。やっと言えたのが「コンビニに行ってくる」。

ふと思い立ってスーツのまま、靴下を脱ぎ捨て、家を飛び出すクドカン。マンションの階下に下りると泣いて立ちすくんでいる松たか子。それを見て走って逃げるクドカン。もう好きじゃないし、好きじゃなきゃいけないし、それも言えないし、あーめんどくせー、逃げちゃえばいい。そんな衝動がとてもよくわかる。僕もクズだからだろうか?

 

優しさを持っていなきゃと思うけど、それが出来なくなってしまうほど価値観の違いは埋められない。

 

松たか子クドカン「温泉に行った時に老夫婦と話をして、結婚生活が40年って聞いて…」

松たか子「(嬉しそうに)40年かあ〜」

クドカン「(しんどそうに)40年かあ…」

〜と…の違いがこんなに大きな溝になるなんて事を表しているなんて。

 

自分も恋人に相手の好きな音楽とか映画とか喧嘩になるからと思って、全く触れないようにした。相手のルールに合わせようと、すごい我慢したり努力した。メールも敬語にしてたりしてたこともある。自分のワガママで爆発した時にそれがきっかけでセックスレスになり、見事に彼女は冷めて行った。最終的にそれは全て無駄でしかなかった。話し合えばよかった。話し合えば何か違ってたかもしれない。喧嘩はしてたけど、お互いの価値観が擦り寄ることはなかったよりよかったのかもしれない。終わってみれば、最初からうまくいかない相手だったんだと思う。

別れてからしばらく未練より恨みが勝っていた。なんでこんなに恨みが消えないのかわからかったけど、このカルテット6話を見終わり涙に溺れた時、ものすごく元カノの恨みが嘘のように消えて無くなっていた。

救われたのだカルテット第6話に。

 

最後のアリスちゃんの生死とかドラマの続きは気になるけれど、この第6話は自分にとってとても大切な第6話になった。

 

そんなこんなでみんなも見たほうがいいですぞ!カルテット!松田龍平も奥さんの浮気で離婚した事ですし!!

 

 

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