バーフバリのように生きたい!実際問題無理だって

先日、プチブームになってる映画「バーフバリ 王の帰還」を観て思ったこと。伝説誕生も観ておりますけど、王の帰還は本当に素晴らしいと思うのです。観ていて、過剰であることはなんて素敵なことなんだろうって思った。

このクレーマー社会。SNSはすぐ炎上する。どこか北朝鮮隣組の監視社会のように感じるこの窮屈さは一体何だろうと思った。カルチャーで盛り上がるのは一握りで政党やら不倫やら誰かの批判しかインターネットにはない気すらしています。なるべく見ないようにはしているのだけど。何とな〜くヤフコメとか見始めて、いつの間にかよくない考えにズボッと入っていたりする。ダウンタウンの黒人差別とか誰も笑いの筋を考えずに発言してるなぁ、と思って怒りにまみれてしまうこともあるけど。そんなことを発言できる場所があちこちにできたおかげでみんな言いたい放題。矢面に立つ人は凹むわけで。

バーフバリにはそんなの関係ねぇっていう過剰さを感じて、感動してしまったわけで。細かいことはいいんだよ、これ面白い?これも面白い?の連続でずっと痛快で。過剰であることがどこか許されない世界の今。物語の中でくらい心は自由でいたい。ワンピースだって、同じこと言ってるじゃん。だけど、大人たちは許してくれない今。何て窮屈なんだろう。TVだって、芸人とかタレント何て本来、面白いことさえ言ってればよかったのに、コンプライアンスとか自主規制とか好感度的にとか言って、どこか発言を控えている印象だ。

今の芸人さんて、もっと本気を出したらすごいことができるのに。

 

野性爆弾のくっきーさんはそういった意味でもすごい。ゴッドタンもすごい。TVでやれていることが。批判する声があまり聞こえない。過剰であることはやっぱりすごいことだ。才能をやめなかった人たちは気持ちがいい。

大森靖子の「見晴らしのいい地獄」って歌詞がすごく好きです。過剰を止めずに続けたから見える地獄っていうことがあると思う。

それに何か発表する人って、過剰じゃないと面白くない。こなユーキーってどうかしてるもの。

私も一応サラリーマンとして働いてるけど、どこかずっと居心地が悪い。毎日サラリーマンごっこをしているようだ。周りは口を開けば誰かの悪口か仕事の話。窮屈だ。

 

息の吸い方を忘れかけている。何かずっと心が休まらない。ぬるい地獄にずっといる気がする。昔よりはよくなってるだろうか。なりたかった大人にはなれなかったけど、幸せではある。

最近サラリーマンになって1年ちょっと。こんな生活でみんな満足できていることに今更ながら驚く。絶望感しかない。安定以外は。よく毎日みんなやれているな。楽しいと思える日が来るんだろうか。帰りの散歩は楽しい。働いたおかげではある。土日も悪くない。彼女と一緒に過ごしたり、友達と過ごしたり。しかし、生きるなんてそんなもんだとも思う。亡くなったあの人たちは今にして思えばとても早く亡くなったけど、美しく生きていたと思う。関わってくれただけで、感謝もある。だけど、ずるいなぁ。

人が生きることはとても美しいものなのだな。どう生きてたとしても。