2018⇨2019正月。2018は記憶がない。現代の貧困の真っ最中なのかもしれない

タイトルを仰々しく書いておりますけど、駄文です。きっとまとまりのないものを書き連ねます。まとまりなく書きたい気持ちなのです。衝動なのです。

結論から言うと、2018年、6月に自己破産しました。ガストでバイトもはじめました。年金も払えてなかったので、恋人に詰められ、振られちまいました。

前厄の1年前ですよ。39歳ですから。厄年ってなんすかね。ずっと厄に付きまとわれてる気がします。恋人とは2年付き合いました。5月ごろに、年金を払えと言われて、収入から換算され、こんぐらい毎月払えるじゃん。と言われ、バイトすると自分が言い。なら、こんだけ払えるねってなって。毎月の支払いは、自己破産の資金だけ毎月7万円払わねばならず、無理でした。11月に問い詰められ、自己破産の事は言えず、金遣いが荒いのだね。という信用を失った形で恋人に振られちまいました。昼も夜も仕事で体はフラフラのまま、言い訳もできず、振られちまいました。年金は本当に払っておいたほうがいいです。ていうか毎月弁当で、自販機も抑えて、かつかつなのに払えるわけがない。なんでだろう。みんなどうやってお金こさえてんだろう。

恋人になるってのはお互いの人生の一部を共にするわけで、過去に何があったとか関係なくそのつながった瞬間は光が差していて、尊いもので。

でも時間が経つにつれ、気持ちではどうしようもない問題が出てきて、大人ってスゲェ。とか思いつつ、自分が大人になれてないだけであって。感情的な言葉が空虚になる瞬間、その人との関係性は終わっていた。と言っても過言ではないと。

正月、そんなもやもやとした気持ちを抱えて、何の知識もないけど、ネロがパトラッシュに「あー疲れたね」と行ってみることを切望していた絵を見てみたくなり見に行き、深大寺にそばを食べに行き、昔いい感じになったけど、恋仲になることもなく、疎遠になった女性からメールの返事が来て、帰りのバスの車中、夜景が溶けていく中、今まで良さがわからなかったトムウェイツが急にスポッとはまって、涙が流れて、東京って残酷で最高だって叫びたくなった夜です。

友部正人高田渡を聞き、焼酎を飲み、前野健太に涙して、毎月かつかつの生活の貧乏だけど、映画も見て、図書館で本を借りて、ポールオースターや田村隆一に憧れ、寺尾紗穂の切ない旋律に涙して、そのまま生きていく、それでも生きていく、切ない日々の40前です。

恋人なんてものがはるか遠くに行ってしまった気がする40歳前なのです。ネットを検索すると40は終わってる。いらない人間のような扱い。有名人以外は。それでも生きなきゃいけんのです。夢を終わらせてしまったのだから、新しい夢も見たいけど、恋人も欲しいけど、世間的には終わってるようなのです。それでもそれでも、生きていきたいのです。恋もしてみたいのです。風俗に行ける金をとりあえず作りたい。そんな2019年の平成最後?とかいう年のはじめです。